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0-3 試験勉強の前に・・・ 法律はなぜ守る?

「法律はなんで守らないといけないの?」

この質問は、法学というよりも(法)哲学から宗教といった別分野の命題ようです。専門家でも諸説あるようなので、首を突っ込むとキリがなさそうなので、とりあえず「守らないといけない。」と覚えました。(笑)

でも一応、法哲学的な観点からこの質問を読み解くと…

1.法律を守る義務の前に、表裏一体の権利について

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などのメジャー宗教の教義に「人間は皆、神の前には平等だ」という教えがあります。

その宗教的倫理観に基づいて、近代になって自由や平等というものは「神が人間を創った際に初めから与えた『人間の本質』である。」と考える自然権と呼ばれる権利の思想が誕生しました。

この神の定義については、宗教誕生以来、宗教間で戦争し続けている程度には、「本当の神様はうちの神様だけで、おたくのは偽物だ」と結論の出ない争いがあります。

ところが「神の前には人間皆平等」という前提についても、例えば神道では天皇陛下は一般国民とは身分が違いますし、儒教では親は子供より偉いに決まってるし、仏教なんかでもお釈迦様など悟りを開いた優れた人間と、その他の迷える人間は決して平等ではない的な、「人間皆平等」を否定する宗教もたくさんあります。

ただ、神様は居るのか居ないのかとかを考え出すと、宗教の問題になって法律から話が逸れちゃうので、「神の前では人間皆平等」を前提で、かつ神様から自然権も貰っちゃってるという前提で話を進めます(笑)。

近代になって誕生した、その「自由平等というものは人間が生まれながらに持っているもの」という自然権についての肝は、「生まれながらに神様から与えられた権利」ということなので言い換えると、「国家が市民に与えた人為的な権利でないので、人為的に制限を受けるものではない」ということです。

2.法律を守らないでもいい権利

この自然権のせいで、「人為的な法よりも自然権(生まれながらの神から与えられた権利)の方が優先されるので、法には従わなくてもよい」という考えも存在するので非常にややこしいです。

まあ、それを言ったら…なのですが、必ずしもいつも法律が正しいとは限らないので、人間の本質を国家が制限を加えようとする時、例えば独裁国家に対して、革命による解放を行う事が出来ると考えられる革命権の考え方が派生します。

「たとえ悪法であっても、一定の手続きを経て決まった法には、従う義務がある」というソクラテスの『悪法も法なり』という言葉がありますが、革命権まではいかなくても自然権を根拠にした自由の権利は、ソクラテスの『悪法も法なり』に対しての法律に従わなくてもいいという論拠になります。

革命権は中世ヨーロッパで横暴な王政に苦しんでいた市民が支配者を倒した革命を起こした論拠になったロックの社会契約説で有名です。

また、人は生まれながらに自由の権利を持つ自然権を素直に読むと「人は法を無視する自由の権利」があります。もっと言うと「悪事を働く自由の権利」もあります。

3.法律を守らなければならない義務

人は1人では生きていけないので、「悪事を働く権利」を持つ人間が集団生活をすることになります。そこで「社会契約説」という考え方が派生してきます。

「社会契約説」では、自然権を持つ市民は皆で社会生活のために国家に、自然権を持つ市民間の調整という役割を与えた、国家と契約したと考えます。

人間はみんながみんな神様から悪事を働く権利も与えられてるので、そのまま人間が集団生活をすると収集がつかなくなるので、個々の権利の調整を国家に委ねる契約をしたと解します。

個々人の権利の調整を、国家に委ねているのですから、その調整結果という「法」には従う義務があるとなるのです。

ソクラテスの言う「悪法も法なり」が意味する「一定の手続きを経て決まった法には、従う義務がある」という法治の考え方の根拠です。

4.法律を犯す権利と法律を守る義務

色々読んだのですが「法律を犯す権利」と「法律を守る義務」とが両立して存在しているので、やはりなんか…この「なぜ法律を守らないといけないの?」という命題は、正直…禅問答みたいな気もします。

人は自由の権利を持ってるので、「他者の権利を侵害する権利」をもっていますが、「同時に他者に自分の権利を侵害されない権利」も持っています。

集団社会生活において他者との関係の中で生きるという事は、自己欲の為に他の人々の権利を侵害することは、集団生活において他者との関係を正常に保つために、自然権を持つ者同士の権利不可侵の協定的な観点から許されないのだと思います。

なお、この「法は、他者との関係を正常に戻す為の一つの手段」という考えは、現在の法哲学の通説だそうです。ちなみに法が「一つの手段」と言うからには他の手段もあり、法以外の集団生活で他者との関係を正常に保つ手段は「慣習」・「和解」などです。

あとは余談ですが、義務である「なぜ法律を守るのか」について考えるときに、

質問する方も権利である「自然権」を知ってて聞いてるんだと思いますが、「法律を破る自由はあるの?」、「法律を守らなくてもいい権利はあるの?」とか、義務の有無の質問のようで、相反する権利の「自然権」の有無を問う質問にすり替わって質問されると、人間はある意味相反する「守らなくてもいい権利」と「守らなければならない義務」と両方持ってるので、この問答は途端に解りにくくなるんだと思います。

あと、「例えば無人島へ行くとか、国家や社会のサービスを辞退すれば法律は守らなくてもいいの?」「別にいいんじゃないの、勝手にすれば。」なんかの会話も、それはそれでそうなんでしょうけど、別に国民市民の個人の話ではなくて、主体としての全体的な国民市民を考えなきゃいけないので、もちろん論点が逸れてると思います。

また、ここで倫理とか道徳の側面から考え出しても、話が「法律は善なの?悪なの?」、「間違った法律も守らないといけないの?」とかこれも話がすり替わって少し当初の命題への回答から逸れてるような気がします。

基本、法律は守らないといけなくて、ただ守らなくてもいい権利も持ってるんで、例えばナチスホロコーストなどのような悪い法律は守らなくてもいいんでしょうが、この善悪というのが大変主観的で、この道徳的観点は、命題とは話しが違うように思います。

最終的な回答としては、人は、法を荒らす権利もありますが、そういう権利があるがゆえに、権利を持つ人同士が互いに権利の侵害を抑止する協定、社会契約を結びあい、その帰結として、その協定の執行機関である国家の法には従わなければならない義務が発生したと考えるのが、個人的にはこの命題に対するスマートな回答なのかなと思います。

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