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1-1-8 法令科目 憲法 21条/103条 思想

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

 

2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 

前回は、集会や結社の自由とその規制について学習しました。集会や結社をはじめとして、今まで出てきた表現の自由には公共の福祉の観点から、制限が加えられていたことに気付いたことと思います。
今回は、表現の自由の中でも多くの裁判事例のある報道・取材の自由と、国家公務員法、地方公務員法で制限が規定されている公務員の政治活動について、判例を読んでいきましょう。

Ⅰ.報道・取材の自由
これまでに、表現の自由として保障されるかどうかが争われた多くの事例を持つのが「報道・取材の自由」です。
報道の自由とは、一般に報道機関がマス・メディアを通じて国民に事実を伝達する自由を指します。憲法第21条では明言されていませんが、報道は受ける側の意思形成に素材を提供する行為であるとともに、編集される過程で報道する側の意思も働くことから、表現の自由の一環として保障されることに学説上の異論はなく、最高裁判所でもこれを認めています。
また、取材の自由とは報道の前提としての一種の情報収集活動を行う自由を指します。報道は、まず取材によって情報を得てそれを編集して発表するという一連の行為で成立します。したがって、取材は報道するに当たって必要不可欠です。そこで、一般的には、取材の自由も報道の自由の一環として憲法第21条によって保障されていると考えられています。
これに対し、最高裁は「取材の自由は憲法第21条の精神に照らし、十分に尊重に値するものと言わなければならない」と、ちょっと微妙な言い回しをしています。これは、「取材の自由も一応、憲法上保護される権利ではあるけれども、保護される度合いは憲法第21条で直接保障されている報道の自由より、ワンランク下だ」という趣旨です。言い換えると、「取材に対する制約は、報道に対する制約より許容されやすい」と言うことにもなります。
この報道・取材の自由が争点となった判例としては、「博多駅テレビフィルム提出命令事件」が有名です。博多駅で、アメリカ原子力空母の寄港反対運動の学生と機動隊が衝突し、機動隊側の過剰暴行に「特別公務員暴行陵虐罪」などの疑いが持たれましたが不起訴となったため、裁判所に審判の請求が提出されました。これに対して、裁判所では、証拠として当時の衝突を撮影した収録テープを提出するようにテレビ局に命令を行いましたが、テレビ局側はテープ提出命令が報道の自由を侵害するとして抗告した事件です。

そもそもの事件である博多駅での学生と機動隊の衝突事件では、事件の様子を収めたフィルムは重要な証拠でした。しかし、テレビ局はフィルムを提出すると、将来、取材をするときに「何かあったらこの放送社はすぐ裁判所にフィルムを提出すんだ」と人々に思われてしまい、これから取材がしにくくなってしまう――と考えました。そこで、放送社は取材の自由を主張し、フィルムの提出を拒否したのです。
判例では、報道の自由は表現の自由で保障されるとしましたが、報道のための取材の自由は十分に尊重されるとしています。つまり、取材の自由については、表現の自由で保障されるとまではいえない、ということです。別の角度から見ると、裁判所がある事件の証拠として報道用の取材フィルムの提出を求めることは合憲だと判断されたことになります。
公正な裁判の実現と、将来の取材の自由が妨げられる程度の不利益を受けることとを比較して、公共の福祉のためには、公正な裁判の実現の方が大切としたのです。
取材の自由に関しては、情報源を秘密にする自由が認められるかという取材源秘匿権も問題にされています。このことが問われた事件に、少し古い事件ですが「朝日新聞石井記者事件」があります。この事件は、汚職事件で公務員Aが夜中に逮捕されたのに、翌日の朝日新聞朝刊で報道されたことは、裁判所か検察庁内の職員の中に、逮捕状執行前に石井記者に情報を漏らした者がいるのではないかと疑いが持たれ、記事を書いた石井記者が証人喚問された事件です。
しかし、石井記者は取材源の秘匿を理由として宣誓証言を拒み、証言拒否罪で起訴されました。

第一審・二審と有罪判決の石井記者からの上告を受けた最高裁の判決は、上告棄却でした。
最高裁は判決の中で「新聞記者に取材源につき証言拒絶権を認めるか否かは立法政策上考慮の余地がある問題」であるとしながらも、現行の刑事訴訟法においては「新聞記者を証言拒絶権あるものとして列挙していない」ので、「刑事訴訟法第149条に列挙する医師等と比較して新聞記者に右規定を類推適用することのできないことはいうまでもない」としています。
要するに、新聞記者に証言拒絶を認める旨の法律があれば、それは考慮するべきであるが、現実にそうした法律はないので、新聞記者による証言拒絶は認められないと言うことです。
一方、平成18年の民事裁判において、報道記者が職業の秘密に当たることを理由として取材源に関する証言を拒絶した事件について、最高裁は証言拒否を認めています。
判旨では、取材源の秘密は職業の秘密に当たるとしつつ、保護に値する秘密についてだけ証言の拒否が認められるとしました。そして、保護に値する秘密かどうかは、秘密の公表によって生ずる不利益と、証言の拒絶によって犠牲になる真実発見や裁判の公正との比較衡量により決せられる――という基準を示しました(最判平18.10.3)。
時代の経過とともに、公共の福祉の内容や守られる人権の内容も変化することに注意して読み比べたい2つの事件と言えます。

Ⅱ.公務員の政治活動の自由
政治活動の自由が表現の自由に含まれることは、異論のないところです。これは、国民なら誰でも、例え公務員にも及ぶことです。
ところが、国家公務員法第102条、地方公務員法第36条などの現行法上、公務員の政治活動は幅広く制限されています。公務員の政治活動が一般の国民と大きく異なることは、憲法に反していないのでしょうか?
この問題を扱った事件に「猿払事件」があります。北海道猿払村の郵便局の事務官が、勤務時間外に、労働組合の決定に従ってある政党の選挙ポスターを掲示板に貼ったりしたため、政治活動を禁じている国家公務員法違反で起訴されましたが、国家公務員法の規定が違憲ではないかと争われた事件です。

判例では、公務員の政治的中立性を損なうおそれのある公務員の政治活動を禁止することは、それが合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り憲法の許容するところであるとしています。そして、合理的で必要やむを得ない限度にとどまるとは、次の3点から判断すべきとしています。
①禁止の目的
②この目的と禁止される政治的行為との関連性
③政治的行為を禁止されることにより得られる利益と、禁止することにより失われる利益との均衡
猿払事件では、①については、行政の中立とこれに対する国民の信頼の確保だから正当、②については、公務員の政治活動を禁止することは、目的との間に合理的な関連性がある、③については、公務員の政治活動を禁止すれば公務員の政治的中立性の維持という利益が得られるのに対し、禁止することで失われる利益は一定限度で、政治的意見の表明ではなくてその方法を制約されるのに過ぎない――以上のことから、国家公務員法は違憲ではないと判断しました。
公務員の政治活動の制限は、今でもこの猿払事件の判例が基準となっています。

Ⅲ.通信の秘密
憲法第21条第2項の後段は、「通信の秘密は、これを侵してはならない」として通信の秘密を保障しています。通信とは手紙はもちろん、電話や電報、電子メールなど広く通信手段全般を指します。
通信の秘密には2つの意味が含まれています。2つの内容とは、
①通信の内容に関する秘密
②通信の存在自体に対する秘密――です。

②の存在自体に対する秘密とは、誰と、いつ、どのような方法で通信したか、あるいは、通信しなかったかも秘密にできるということです。

また、「これを侵してはならない」とする通信の秘密の保障にも2つの意味があります。2つの意味とは、
①公権力が通信に関して調査してはならない積極的知徳行為の禁止
②通信業務に従事する者が職務上知った通信に関する秘密を他に漏らしてはならない漏洩行為の禁止――です。
通信の秘密の保障も無制限なものではなく、現行法上では、在監者の信書の授受に関する制限(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律第126条以下)や破産手続きに関する破産管財人による破産者への配送物チェック(破産法第82条)などの制限があります。

いかがでしたか、これで憲法第21条の表現の自由に関する解説はおしまいです。内容がいろいろあって覚えるのが大変でしょうが、次の2点をしっかり押さえてください。
①条文に上げられた内容は例であって、原則的には、言葉として記載されていない表現の自由も認められる
②表現の自由は、公共の福祉や公序良俗の観点から制限されることがある
これらは、行政書士試験において、今までに触れたことのない判例に当たったときの判断の基準の一つとなります。

 

今回と次回は、精神的自由権の一つ「表現の自由」を取り上げます。前回まで学んだ個人の心の中の思想や信仰は、個人の内部にとどまる限り絶対に保障されたものでした。

しかし、思想や信仰は、外部に表明して他者に伝えて初めて社会的に意味を成すものと考えられています。そこで、生まれたのが表現の自由で、心の中の思想や考えを自由に表現できる権利です。発表できる権利と考えてもいいでしょう。
そして、表現の自由は、人権の中でも特に重要な権利と言われています。
では、まず、憲法第21条を見ながら、今回は「表現の自由の意味」について、考えることから始めましょう。

Ⅰ.表現の自由の意味
表現の自由とは、人の意見や主張はもちろん、思っていることや感じていることすべてについて、方法のいかんを問わず、外部に表す活動の自由が憲法で保障されていることを意味します。
そして、表現の自由は人権の中でも重要なものの一つです。その理由は、表現の自由が、
①自己実現の価値
②自己統治の価値
の2つを持っているからです。
①の自己実現の価値は、個人が言論などの表現活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値のことで、個人の尊厳を実現するのに不可欠です。なぜなら、人は思ったり考えたりしたことを外部に表明して他の人に聞かせ、それに対する他の人の意見を受けてさらに考えを深めます。人は他人との意見の交換を通して人格的成長をしていき、自己を確立して、個人としての尊厳を獲得するからです。
②の自己統治の価値とは、国民が言論などの表現活動を通じて政治的意思決定に関与するという民主的な政治のためになるような社会的な価値のことで、民主主義の実現に不可欠です。なぜなら、国民一人ひとりが自由な発言や討論をできなければ、民主主義の社会とはいえないからです。

ここで、表現の自由について規定されている憲法第21条を読んでみましょう。

第1項で「一切の(すべての)表現の自由」を保障し、第2項でこれをさらに強化するために検閲の禁止と通信の秘密の保障を規定しています。

Ⅱ.表現の自由と知る権利
かつて、表現の自由は、表現することの自由、つまり「表現の送り手の自由」だけと捉えられていました。でも、現代のように膨大な量の情報が氾濫して、それらの情報のほとんどが特定の国家機関やマス・メディアなどに集中する社会においては、個人が表現をするための前提として、必要な情報を集めることができる権利が必要不可欠になってきました。そこで、条文上には、どこにも出てきませんが、情報を収集することなどの「表現の受け手の自由-知る権利」も表現の自由の一つとして保障することになったのです。
知る権利は、
①個人が情報を収集することを国家に邪魔されない自由権的な側面
②個人が国家に対して情報の公開を請求できる請求権的な側面
の2つの意味を持ち合わせています。
そしてさらに、②の請求権的な側面の具体的内容として、
A情報公開請求権
Bアクセス権
が挙げられます。
Aの情報公開請求権とは、国や地方公共団体に対して、保有している情報の公開を求める権利です。国においては情報公開法、都道府県レベルでは情報公開条例をそれぞれ定めて、具体的にその内容を定めています。
Bのアクセス権とは、一般に国民がマス・メディアに対して、自分の意見を発表する機会を提供するよう求める権利のことです。
でも、国民にアクセス権を認めることは、一方で、マス・メディアの表現活動に何らかの制約を加えることも考えられるため、アクセス権を認めていいか否かについては、未ださまざまな議論が交わされているところです。
次の「サンケイ新聞意見広告事件」は、憲法第21条をめぐる判例として有名な事件です。
自民党員であるAが、産経新聞に掲載した広告が共産党員であるBの名誉を著しく毀損したとして、Bが、新聞社に対して、同じスペースで反論文を無料・無修正で掲載することを要求した事件です。
この裁判では、反論権が憲法第21条によって認められるかどうかが争われました。反論権とは、新聞などのマス・メディアにより利益を害された者が、同等のスペースの反論を掲載することをマス・メディアに対して請求する権利のことです。

判例では、サンケイ新聞などの日刊全国紙による情報の提供が、一般国民に対して強い影響力をもち、その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしながらも、「新聞に反論文を無料で掲載することを安易に認めることは、公的な事柄に関する批判記事を書くことを躊躇させてしまう危険がある」として「少なくとも具体的な法律がない状況の下において、反論権を認めることはできない」と判断しました。
つまり、反論権は憲法では保障されていないということになります。
この判例でも見た通り、表現の自由には重要な価値がある一方で、他人の権利や利益と衝突することが少なくありません。
そこで、次回は、「表現の自由に対する制限」について解説したいと思います。

第17回で、表現の自由には、自己実現の価値と自己統治の2つの重要な価値がある一方、他人の権利や利益と衝突することがあるとお話ししました。

今回は、その衝突が起きてしまう場合には、どの程度までなら表現の自由が認められるか、言い換えれば、表現の自由に対する制限について解説したいと思います。

Ⅰ.二重の基準論
何度もお話ししていますが、表現の自由は非常に重要な人権です。でも、無制限に認められるわけではありません。
ここで、第12回に出てきた憲法第13条をちょっと思い出してみましょう。第12回は幸福追求権について解説したのですが、その中に「公共の福祉」という言葉が出てきましたね。ここまでお話すれば、もうピンと来たと思います。
そうです! 表現の自由の限界は公共の福祉によってどの程度制限されるのかを考えなければならないことになります。
表現の自由は精神的自由権の一つです。精神的自由権を規制する場合の基準に「二重の基準論」があります。二重の基準論とは、精神的自由を規制する立法の合憲性は、経済的自由を規制する立法よりも特に厳しい基準によって審査されなくてはならないという理論です。
では、なぜ、経済的自由よりも精神的自由を規制する立法のほうが厳しく審査されるのでしょう。この理由は2つあります。
1.統治機構の基本をなす民主政の過程との関係です。
民主政の過程を支える精神的自由権は「こわれやすく傷つきやすい」権利です。したがって精神的自由権は裁判所がしっかりと守らなければならない権利とされているのです。
2.裁判所の審査能力との関係です。
経済的自由の規制については、社会、経済政策の問題が関係することが多いので、専門知識を必要とします。裁判所はそうした政策関係の専門知識があまりなく審査能力が乏しいといえます。そこで、裁判所としては、とくに明白に違憲と認められないかぎり、立法府の判断を尊重します。
以上の点から、精神的自由については厳格な基準、経済的自由権については緩やかな基準が用いられることになります。

精神的自由権に対する規制を審査する厳しい審査基準として、次の①~④があります。
①事前抑制禁止の理論
②明確性の理論
③「明白かつ現在の危険」の基準
④「より制限的でない他の選びうる手段」(LRAの基準)
です。
裁判所は、これら①~④のうちのいずれかを用いて審査しますが、これらの厳しい審査基準とはどんなものか、それぞれを説明していきます。

Ⅱ.事前抑制禁止の理論
事前抑制禁止の理論とは、表現行為を公権力により事前抑制されることは許されないという理論です。憲法第21条第2項では、表現行為の内容を確認する検閲の禁止を規定しています。
これにまつわる裁判に「税関検査事件」と「北方ジャーナル事件」があります。では、税関検査事件から検証していくことにしましょう。
税関検査事件は、輸入業者Aがわいせつフィルムを輸入したところ、同フィルムが税関検査により関税定率法にいう「風俗を害すべき書籍」等に該当するとして輸入を禁止され、同処分が憲法第21条第2項の検閲にあたるとして争った事件です。

この判例は、まず、検閲とは何かを定義づけました。検閲とは、①行政権が、②思想内容等の表現物を対象とし、③その全部又は一部の発表の禁止を目的として、④網羅的・一般的に発表前にその内容を審査した上で、⑤不適当と認めるものの発表を禁止することと定義しました。そのうえで、この事件の表現物は国外で発表済みで、輸入禁止されても表現の機会が全面的に奪われるものではなく、税関検査は関税徴収手続きの一環として行われるものであって、思想内容等の審査・規制を目的としたものでないから、当該行為は、憲法第21条第2項で禁止する検閲には当たらないとしました。

次の事件は、北海道知事選の立候補予定者について、雑誌社Bが批判・攻撃する記事を掲載しようとしたため、雑誌の発売前に裁判所が発売差止めの仮処分を行ったことが憲法第21条に違反しないかが争われました。

この判例では、裁判所の事前差止め(事前抑制)の仮処分は検閲には当たらないものの、原則として事前差止めは許されないとしています。そしてまた、この事件の判例は、事前抑制が例外的に許されるのはどのような場合かを示したと言えます。
事前抑制は原則として禁止されているが、厳格かつ明確な要件のもとで例外的に許されると言っているのです。
さらに、厳格かつ明確な要件とは、①その表現内容が真実でなく、②公益を図ることが目的のないものであることが明白で、③被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるとき――であることも分かります。
以上2つのほか、教科書検定が検閲に当たるのかどうかも理論が多いところです。第一次家永教科書事件【最判平5.3.16】では、上記の税関検査に関する基準のもとに、教科書検定で不合格とされても、一般的図書としての発行は可能であるし、発表禁止目的もないという理由で、少なくとも検定制度自体は検閲には当たらないとされています。
このように、判例での判旨は以後の裁判のよりどころともなるので、応用ができるようになるまで読めるといいですね。

第17回で表現の自由の意味を把握し、第18回では表現の自由にも制限があることを確認しました。今回からは、具体的な表現の内容を見ていきます。

まず、もう一度、精神的自由権の全体像を確認してみましょう。

上の表の知る権利までは、学習し、その制限についても確認しました。今回は、次の集会・結社の自由とその制限について勉強しましょう。

Ⅰ.集会の自由の内容

第1項の冒頭に出てくるのが、集会・結社です。集会とは、特定・不特定を問わず、多数の人がある一定の場所に集まる一時的な集団のことです。例えば、選挙の立会演説会に集まった人々がこれに当たります。
第21条で保障されている集会の自由には次の2つの側面があると解されています。
①自由権的側面
②社会権的側面
①の自由権的側面とは、その目的や場所、方法、時間などは問わずに、集会を主催したり、集会に参加することを公権力によって妨害されないことです。②の社会権的側面とは、道路や公園、広場や公会堂などの公共施設を管理する公権力に対して、集会を開こうとする者が、その利用を要求することができることです。
そして、これを具体化した規定が地方自治法で、地方公共団体に、住民の利用のための公の施設、例えば文化会館などの設置の義務付け、住民がその施設を利用することを正当な理由がない限り拒んではいけないこと――などを規定しています。

Ⅱ.集会の自由の制限
さて、自由権的側面と社会権的側面から保障されている集会の自由ですが、集会は集団による行動を伴うため、施設・場所の他の利用者の権利や利益との競合や、集会どうしが競合する場合など、調整のために。当然、ある程度の制約が必要です。
これらの制約には、大きく3つがあります。
①官公署や公民会館などの公の建造物に対する管理権による制約
②公安条例による制約
③道路交通法による制約

次にそれぞれの合憲性について見てみましょう。
①の官公署や公民会館などの公の建造物に対する管理権による制約について解説します。
これを代表する事件に「泉佐野市民会館事件」があります。ある住民団体が、大阪府泉佐野市長に対して「関西新空港反対全国総決起集会」を開くために同市の市民会館の使用許可を申請しましたが、同市の条例にある市民会館の使用不許可事由の一つとされる「公の秩序を乱すおそれがある場合」と「その他会館の管理上支障があると認められる場合」に該当すると判断され、使用許可が下りなかったことが憲法第21条に反するか否かが争われた事件です。
この事件で、まず最高裁は、同市の条例で規定する「公の秩序を乱すおそれがある場合」の意味について「市民会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、会館で集会が開かれることによって、人の生命・身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避・防止することの必要性が優越する場合」と限定する――と言っています。
つまり、この事件の場合に集会を挙行したら、反対派の暴力的攻撃が予測されたので、会館職員、周辺住民、集会参加者の身体の安全が憂慮される事態であったから、条例の公民館使用規則における不許可になる場合に当てはまり、使用不許可とすることが許されると言っているのです。そして、市民会館が不許可を出した行為は合憲とされました。

一方、埼玉県上尾市で、労働組合の幹部の合同葬に使用するために、同市の福祉会館の使用許可を求めたところ、同市の条例を根拠に不許可とされたことの合憲性が争われた「上尾市福祉会館事件」では、不許可が違憲と判断されました。
この事件で最高裁は、集会に反対する者が紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設を不許可とできるのは、警察の警備等を行ってもなお混乱を防止することができないなどの特別な事情がある場合に限られる――とし、この事件の場合には、主催者が集会を平穏に行おうとしていることから、不許可の要件に当てはまらないと判断したのです。

②の公安条例による制約と、③の道路交通法による制約について解説します。
道路や公園等での集会や集団行動に対しては、各地方公共団体の公安条例によって、届出制や許可制による事前規制が設けられ、違反者には刑罰が課せられるのが通常です。
また、現行の道路交通法では、道路で一定の集団行動を行おうとする場合には、事前に所轄の警察署長の許可を得る必要があることが規定されています。
ですから、道路での集団活動は、公安条例がない地方公共団体では道路交通法の、公安条例がある地方公共団体では道路交通法と公安条例による二重の規制を受けることになります。
公安条例や道路交通法による規制が合憲かどうかが問題となり、争われることがありますが、判例では、公安条例は一貫して、一般的な許可制は違憲であるが、特定の場所や方法を合理的で明確な基準をもって制限すれば許されるとし、道路交通法は、道路使用が不許可とされる場合の明確で合理的な基準を明示しているので、合憲であるとしています。
それでは、その例として、「東京都公安条例事件」を見てみましょう。この事件で、Xはデモ行進を行う際に、東京都公安条例に基づき東京都から、集団行進を行う許可を得ました。その際、「蛇行進、渦巻行進、又は、ことさらな停滞等交通秩序を乱すような行為は絶対に行わないこと」という条件を付けられました。ところが、Xはその条件に違反し、蛇行進、渦巻行進をし、交通秩序を乱すような誘導、指示をしたため、東京都公安条例違反で起訴されました。

判例では、まず、一般的な許可制は違憲であるとしています。しかし、デモ行進などは最初は平穏静粛な集団でも、徐々に昂奮・激昂の渦中に巻き込まれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒化し、勢いのまま、実力によって法と秩序を蹂躙する事態に発展する危険性があることは、群集心理の法則と現実の経験に照らして明らかなので、条例などで規制することはやむを得ない――としました。
この事案では、事前に明確な条件を付けて許可したのだから、特定の場所、または方法について合理的で明確な基準が定められていると言え、合憲と言っているのです。

Ⅲ.結社の自由の内容
結社とは、共同の目的のためにする特定多数人の継続的な精神的結合体と言われています。簡単に言えば、集会の継続的なものと考えていいでしょう。
結社の自由には3つあります。
①団体を結成する自由・加入する自由(積極的な結社の自由)
②団体を結成しない自由・加入しない自由・脱退する自由(消極的な結社の自由)
③団体として活動する自由

結社の自由に関する合憲かどうかの争点は、②の消極的な結社の自由についてです。例えば、「税理士は税理士会に加入しなければならない」など、一定の職業について団体の加入が法律上強制されていることの合憲性についてです。
判例では、その職業の専門性・公共性を守るために必要で、なおかつ、団体の目的が会員の職業倫理の向上や職務の改善を図ることに限定されているのであれば、違憲とは言えないとしています。

Ⅳ.結社の自由の制限
結社の自由の制限として、現行法上では破壊活動防止法で、一定の要件の下に公安審査委員会が団体の解散を行える旨を規定しています。この規定については、「裁判所ではなく公安審査委員会という行政機関が、重要な結社の自由の制限である結社の解散を行う権限を持っていいのか」という点から、憲法学者の間では、問題があるとする見解が有力です。
第20回は、第19回の集会・結社の自由のほかに、憲法第21条第1項に規定されている「言論・出版その他一切の表現の自由」について解説します。その他一切とは、①営利的表現の自由、②報道・取材の自由、③アクセス権、④公務員の政治活動の自由、⑤通信の秘密――などのことで、ここでは行政書士試験に取り上げられる、重要な判例を基に解説していきます。

憲法第21条第1項でいう言論とは口頭による表現行為を、出版とは印刷物による表現行為を指しますが、これらは例を出しているだけ(例示と言います)であって、その他一切の表現、つまり、すべての表現媒体による表現の自由が保障されているのがこの条文です。

Ⅰ.営利的表現の自由
最初に営利的表現の自由について考えてみましょう。営利的表現=新聞に折り込まれているチラシやテレビのコマーシャルなどの営利的な広告を行う自由――は、表現の自由の意味をどう解釈するかによって、思想や信教などの精神作用の内容の表現の自由と同じに保障されるかどうか、議論が分かれています。
①A説では、完全に営利目的だけを考えた広告を行う自由については、経済的自由の一つだから、表現の自由よりも広い制限を受ける――と言っています。
②B説では、営利的表現の自由は、表現の自由と経済活動の自由の両方の側面を持っているから、他の表現の自由よりは幅広い制約を受ける――と言っています。
③C説では、実際には営利目的と精神作用の内容を表現する目的とは区別が難しいし、情報の受け取り手の知る権利からすれば、広告も生活に重要な意味を持つのだから、他の表現の自由と同様に、厳格な違憲審査基準によって制約を行わなければならない――と言っています。
では、実際の判例では、営利的表現の自由の制約は、どの程度許されているのでしょう?
「あんま師はり師きゅう師及び柔道整復師法違反事件」と呼ばれるこの事件は、灸(きゅう)師を営んでいる被告人が、灸の適応症であるとした神経痛、リウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ約7,030枚を配布したことは、あんま師はり師きゅう師及び柔道整復師法第7条に違反するとして訴えられましたが、同時に、この法律の第7条が、営利的表現の自由を制限していることは違憲でないかも争われました。

最高裁の判断は、「適応症の広告を無制限に許すと、誇大広告がなされるおそれがあり、それにより一般消費者が適切な医療の機会を失う危険性を伴うので、予防する目的で一定の広告制限を設けることは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためにやむを得ない」としています。
結論として、あんま師はり師きゅう師及び柔道整復師法第7条は、公共の福祉の維持のために許される――という内容でしたが、一方で表現行為の制約に対する明確な違憲審査基準は用いられていない――との批判もあります。

表現の自由に対する規制の合憲性を検討するに当たっては、
①表現の内容に着目した規制なのか
②表現の外的要素(時、場所、方法など)に着目した規制なのか
という視点から分析してみることが大切です。
なぜなら、内容に着目した規制の合憲性を検討する場合は、表現行為の基底にある表現者の思想や人格そのものの規制につながることがあるため、外的要素に着目した規制よりも、より厳しい違憲審査基準が用いられなければならないからです。

Ⅱ.表現の内容に対する規制
表現の内容に対する規制は、主に憲法第13条の幸福追求権とからんできます。幸福追求権について「あれ?」と思った方は、第8回を再読してくださいね。
まず、一つは表現行為が他の人の名誉と衝突する場合です。人の名誉を侵害するような表現は一切許さないとした幸福追求権を優先させると、表現の自由は萎縮することになりますし、逆に、表現の自由を優先させて、表現行為による名誉棄損を野放しにすれば、名誉の保障は、どこかに飛んでしまいます。そこで必要なのが両者の調整です。
次に挙げる「月刊ペン事件」は、日本の雑誌『月刊ペン』が1976年(昭和51年)3月号に掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」、4月号に掲載した「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事に同会の当時の会長の女性関係を持ち出したことが名誉毀損罪(刑法第230条の2第1項)に当たるとして、第一審・二審では、編集長が有罪となりました。それに対して編集長は上告し、最高裁では、私人の私生活上の行状であっても、その人の携わる社会的活動の性質や社会に及ぼす影響力の程度によって、公共の利害に関する事実に当たるとして、差し戻しされた事件です。

この事件では、再審でも第一審・二審と有罪判決が行われ、さらに最高裁に上告しましたが、編集長本人が係争中に死亡し、審理は終了しました。

次は二つ目の表現行為がプライバシー権と衝突する場合です。プライバシー権についても、基本的な考え方は名誉の場合と同様と考えられますが、名誉棄損には刑法第230条の2第1項に規定される「真実性の要件」がありますが、プライバシー権にはありません。なぜなら、表現された内容が真実であればあるほど、プライバシーを侵害された者の損害が大きくなってしまうからです。
そこで、プライバシー侵害については、表現行為の公共性とプライバシー侵害の程度を比較して違法性の判断が行われます。
プライバシー権と表現の自由との関係が問題になった事件の例として、「宴のあと事件」を見てみましょう。
これは、三島由紀夫がある実在の政治家とその妻とをモデルとした小説『宴のあと』の中で、夫婦の私生活をのぞき見したような描写がなされているとして、損害賠償請求がなされた事件です。

この事件で裁判所は民法上の不法行為としてのプライバシー侵害が成立するための条件の基準を次のように示しています。
①私生活上の事実、または、私生活上の事実らしく受け取られるおそれがある内容であること
②一般人の感受性を基準にして事実を公開された人の立場に立ったと仮定した時、公開してほしくないと認められる内容であること
③一般の人々にはまだ知られていない内容であること
この事件は結局、控訴審で和解が成立して終わりました。

しかし、その後、柳美里が顔面に腫瘍を持つ女性を主人公とする小説『石に泳ぐ魚』を著作したところ、その主人公のモデルにされたと思われる実在の女性が、損害賠償だけでなく小説の出版差止めも請求した事件では、最高裁は、プライバシー侵害・名誉棄損を認めて損害賠償の支払いとともに小説の出版差止めを命じました(最判平14.9.24)。

そして、3つ目、表現の内容がわいせつ文書に当たるかどうかも、争われています。刑法第175条では、わいせつな文書、図書その他の物の頒布、販売、公然陳列、販売目的による所持は、犯罪として処罰の対象になっていますが、刑法第175条について、判例は、一貫して「性的秩序を守り」「性道徳を維持する」ことは公共の福祉の内容の一つであって合憲である――としています。
その例として「チャタレイ夫人の恋人事件」を見てみましょう。
この事件は、イギリスの作家D.H.ローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳した作家・伊藤整と、出版社社長に対して刑法第175条のわいせつ物頒布罪が問われた事件です。

まず、判例は、性表現や名誉毀損的な表現も表現の自由に含まれるとしています。
でも、これらを無制限に保障してしまうと、露骨な性表現がはびこる社会になってしまうので、性表現の規制については、刑法第175条でわいせつ物頒布罪を規定し、わいせつ物を頒布・売買した者に懲役や罰金を科すことになっています。
そこで、この判例は、この刑法第175条の性表現の規制の合憲性について判定しました。
どのようなものがわいせつとなるのかについて「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」と定義しました。つまり、性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持するために、刑法第175条は合憲であるとしたのです。

Ⅲ.表現の外的要素
1)街頭演説、ビラ貼り、ビラ配りなどの自由
街頭演説やビラ貼り、ビラ配りなどは、一般市民が広く世間に自分の考えなどをアピールする有効な手段となりますが、道路上で街頭演説やビラ配りをする場合には、道路交通法による規制を受けます。
判例では、街頭演説などは場合によっては、道路交通の妨害となり、ひいては道路交通の危険の発生や公共の安全を害することも考えられるので、道路交通法の規制は合憲としています。
また、ビラ貼りは、屋外広告物法と各都道府県の条例で美観風致を維持する目的で規制されていますが、判例では、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以から表現の自由に対し許された、必要で合理的な制限としています。

2)選挙運動の規制
選挙運動については、公職選挙法上、①一定の選挙運動期間以外の期間における選挙運動の禁止、②戸別訪問の禁止、③法の認める文書・図書以外の選挙活動用文書・図書の頒布・掲示の禁止、④法定の要件を満たさない新聞や雑誌による選挙報道の禁止――など様々な制限が設けられています。
選挙運動の自由は、表現の自由でも自己統治の価値を持つ重要なものです。そこで、これらの選挙運動の自由に対する制限が憲法第21条違反ではないかが、たびたび問題となっています。
判例では、例えば事前運動の禁止については、選挙運動期間を指定しないで、常時選挙活動を可能にすると、不当・無用な競争を招き、選挙の公正を害する結果になるおそれがあるとして、この規制を必要で合理的な制限としています。
また、戸別訪問の禁止については、買収や利益誘導、生活の平穏の侵害などの弊害を防止し、選挙の自由と公正を確保する正当な制限としています。

その他一切の表現の自由には、他の大事な表現の自由があります。次回は、多くの裁判事例のある報道・取材の自由と公務員の政治活動の自由について、解説します。
猿払事件(最大判昭49.11.6)

事例

北海道猿払(さるふつ)村の郵便局に勤務し ていたAは、衆議院議員選挙に際し、勤務時 間外に、ある政党の候補者の選挙用ポスター を公営掲示場に掲示したところ、国家公務員 法102条1項及び人事院規則14-7の禁止する 「政治的行為」に当たるとして起訴された。 【参照条文】国家公務員法102条1項 職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金そ の他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの 方法を以てするを問わず、これらの行為に関与 し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則 で定める政治的行為をしてはならない。

判例の 見解

①政治的行為をする自由は、憲法21条で保 障されているか。

政治的行為は、行動としての面をもつほか に、政治的意見の表明としての面をも有する ものであるから、その限りにおいて、憲法 21条による保障を受ける。 ②公務員の政治的行為を禁止することは、 憲法に違反するか。

行政の中立的運営が確保され、これに対す る国民の信頼が維持されることは、憲法の要 請にかなうものであり、公務員の政治的中立 性が維持されることは、国民全体の重要な利 益にほかならない。したがって、公務員の政 治的中立性を損なうおそれのある公務員の政 治的行為を禁止することは、それが合理的で 必要やむをえない限度にとどまるものである 限り、憲法の許容するところである。 ③公務員の政治的行為を禁止する国家公務 員法102条1項及び人事院規則14-7の合憲 性は、いかなる基準によって判断すべき か。 国家公務員法102条1項及び規則による公 務員に対する政治的行為の禁止が合理的で必 要やむをえない限度にとどまるものか否かを 判断するにあたっては、禁止の目的、この目 的と禁止される政治的行為との関連性、政治 的行為を禁止することにより得られる利益と 禁止することにより失われる利益との均衡の 3点から検討することが必要である。 ④公務員の政治的行為を禁止する国家公務 員法102条1項及び人事院規則14-7は、憲 法21条に違反するか。

行政の中立的運営とこれに対する国民の信 頼を確保するため、公務員の政治的中立性を 損なうおそれのある政治的行為を禁止するこ とは、まさしく憲法の要請に応え、公務員を 含む国民全体の共同利益を擁護するための措 置にほかならないのであって、その目的は正 当なものというべきである。また、右のよう な弊害の発生を防止するため、公務員の政治 的中立性を損なうおそれがあると認められる 政治的行為を禁止することは、禁止目的との 間に合理的な関連性があるものと認められる のであって、たとえその禁止が、公務員の職 種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の 利用の有無等を区別することなく、あるいは 行政の中立的運営を直接、具体的に損なう行 為のみに限定されていないとしても、右の合 理的な関連性が失われるものではない。 次に、利益の均衡の点について考えてみる と、公務員の政治的中立性を損なうおそれの ある行動類型に属する政治的行為を、これに 内包される意見表明そのものの制約をねらい としてではなく、その行動のもたらす弊害の 防止をねらいとして禁止するときは、同時に それにより意見表明の自由が制約されること にはなるが、それは、単に行動の禁止に伴う 限度での間接的、付随的な制約に過ぎず、か つ、国家公務員法102条1項及び規則の定め る行動類型以外の行為により意見を表明する 自由までをも制約するものではなく、他 面、禁止により得られる利益は、公務員の政 治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこ れに対する国民の信頼を確保するという国民 全体の共同利益なのであるから、得られる利 益は、失われる利益に比してさらに重要なも のというべきであり、その禁止は利益の均衡 を失するものではない。したがって、国家公 務員法102条1項及び規則は、憲法21条に違 反しない。

判例の POINT

①本判決は、公務員の政治活動を規制する立 法の違憲審査基準を明らかにしたものであ る。 ②本判決は、利益の均衡を判断する際に、本 件規制は付随的規制にすぎず、規制によって 得られる利益の方が大きいとしている

寺西判事補事件(最大決平10.12.1)

事例

地方裁判所の判事補Aは、通信傍受法案に反 対する市民集会にパネリストとして参加する 予定であったが、裁判所長から、裁判所法 52条1号が禁止する「積極的に政治運動を すること」に当たるおそれがあるから、出席 を見合わせるよう警告を受けた。そこで、A は、集会に参加した上で、「仮に法案に反対 の立場で発言しても問題ないと思うが、パネ リストとしての発言は辞退する」と発言し た。この言動に対して、裁判所長が分限裁判 を申し立て、Aを戒告処分とする決定がされ たため、Aは、これを不服として即時抗告を した。

判例の 見解

①裁判所法52条1号の「積極的に政治運動 すること」の意味 「積極的に政治運動をすること」とは、組 織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能 動的に行う行為であって、裁判官の独立及び 中立・公正を害するおそれがあるものをい い、具体的行為の該当性を判断するに当たっ ては、その行為の内容、その行為の行われる に至った経緯、行われた場所等の客観的な事 情のほか、その行為をした裁判官の意図等の 主観的な事情をも総合的に考慮して決する。 ②裁判官に対し「積極的に政治運動をする こと」を禁止する裁判所法52条1号は、憲 法21条1項に違反するか。

裁判官に対し「積極的に政治運動をするこ と」を禁止することは、必然的に裁判官の表 現の自由を一定範囲で制約することにはなる が、右制約が合理的で必要やむを得ない限度 にとどまるものである限り、憲法の許容する ところであるといわなければならず、右の禁 止の目的が正当であって、その目的と禁止と の間に合理的関連性があり、禁止により得ら れる利益と失われる利益との均衡を失するも のでないなら、憲法21条1項に違反しな い。

判例の POINT

①裁判官も一市民として表現の自由を有して いる。本決定もこのことを認めている。 ②本決定は、裁判所法52条1号が裁判官の 積極的政治運動を禁止して趣旨の1つとし て、「裁判官の独立及び中立・公正を確保 し、裁判に対する国民の信頼を維持する」こ とを挙げているが、かかる趣旨を実現するに は、独立して中立・公正な立場に立ってその 職務を行うだけでなく、外見上も中立・公正 を害さないように自律、自制すべきことが要 請されるとしている。 ③本決定は、裁判所法52条1号の合憲性判 定基準として、猿払事件判決が示した基準を 用いている(裁判所の見解②)

博多駅事件(最大決昭44.11.26)

事例

裁判所は、テレビ局に対し博多駅付近で学生 のデモ隊と機動隊が衝突した場面を撮影した TVフィルムを任意に提出するよう求めたと ころ、これを拒否されたので、提出命令を出 した。そこで、テレビ局は、提出命令は表現 の自由を保障する憲法21条1項に違反する として命令の取消しを求めた。

判例の 見解

①報道の自由は、憲法上、保障されている か。

報道機関の報道は、民主主義社会におい て、国民が国政に関与するにつき、重要な判 断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉 仕するものである。したがって、思想の表明 の自由とならんで、事実の報道の自由は、表 現の自由を規定した憲法21条の保障のもと にある。 ②取材の自由は、憲法上、保障されている か。 報道機関の報道が正しい内容をもつために は、報道の自由とともに、報道のための取材 の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分 尊重に値する。 ③公正な刑事裁判の実現のために、取材の 自由を制約することが許されるか。

公正な刑事裁判を実現することは、国家の 基本的要請であり、刑事裁判においては、実 体的真実の発見が強く要請されることもいう までもない。このような公正な刑事裁判の実 現を保障するために、報道機関の取材活動に よって得られたものが、証拠として必要と認 められるような場合には、取材の自由がある 程度の制約を蒙ることとなってもやむを得な いところというべきである。しかしながら、 このような場合においても、一面において、 審判の対象とされている犯罪の性質、態様、 軽重および取材したものの証拠としての価 値、公正な刑事裁判を実現するにあたっての 必要性の有無を考慮するとともに、これに よって報道機関の取材の自由が妨げられる程 度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度 合その他諸般の事情を比較衡量して決せられ るべきであり、これを刑事裁判の証拠として 使用することがやむを得ないと認められる場 合でも、それによって受ける報道機関の不利 益が必要な限度をこえないように配慮されな ければならない。

判例の POINT

①本決定は、報道の自由と取材の自由に関す るリーディングケースである。 ②本決定が「報道の自由が21条1項によっ て保障される」とした点には異論がない。こ れに対し、「取材の自由も、21条の精神に 照らし、十分尊重に値する」として、報道の 自由と言い回しを使い分けている点について は、「最高裁は、取材の自由も憲法上保障さ れるが、その保障の程度は、報道の自由より も劣るととらえている」との理解が有力であ る。ただ、端的に「取材の自由も報道の自由 の一環として21条1項によって保障され る」とすべきであるとの批判も強い。 ③提出命令の可否の判断基準として、本決定 は、対立する様々な利益を考慮して総合的に 判断する「比較衡量」の手法を用いている。 ④比較衡量に際し、一般論としては報道機関 の不利益が必要な限度を超えないよう配慮す べきだとしながら、実際には、「本件フィル ムは、すでに放映されたものを含む放映のた めに準備されたものであり、それが証拠とし て使用されることについて報道機関が蒙る不 利益は、報道の自由そのものではなく、将来 の取材の自由が妨げられるおそれがあるとい うにとどまる」として低い評価しか与えてい ない点は、批判が強い。

関連判例

石井記者事件(最大判昭27.8.6)【過去問】18-3 ①報道機関の記者には、取材源についての証言拒 絶権が保障されているか。

21条は一般人に対し平等に表現の自由を保障し たものであって、新聞記者に特種の保障を与えた ものではない。…憲法の右規定の保障は、公の福 祉に反しない限り、いいたいことはいわせなけれ ばならないということである。未だいいたいこと の内容も定まらず、これからその内容を作り出す ための取材に関しその取材源について、公の福祉 のため最も重大な司法権の公正な発動につき必要 欠くべからざる証言の義務をも犠牲にして、証言 拒絶の権利までも保障したものとは到底解するこ とができない。 本件は、刑事事件における報道機関 の記者の証言拒絶権を否定したものである。嘱託 証人尋問証言拒否事件(最決平18.10.3)と正反対 の判断を示している点については、刑事事件と民 事事件との違いを考慮したという理解、博多駅事 件以前と以後で、最高裁の取材の自由に対する理 解が変化したという理解などが主張されている。

嘱託証人尋問証言拒否事件(最決平18.10.3) ①取材源の秘密は、民事事件における証言拒絶事 由である「職業の秘密」(民事訴訟法197条1項 3号)に当たるか。

報道関係者の取材源は、一般に、それがみだり に開示されると、報道関係者と取材源となる者と の間の信頼関係が損なわれ、将来にわたる自由で 円滑な取材活動が妨げられることとなり、報道機 関の業務に深刻な影響を与え以後その遂行が困難 になると解されるので、取材源の秘密は「職業の 秘密」に当たる。 ②取材源の秘密が「職業の秘密」として保護に値 する秘密か否かの判断基準 当該取材源の秘密が保護に値する秘密であるか どうかは、当該報道の内容、性質、その持つ社会 的な意義・価値、当該取材の態様、将来における 同種の取材活動が妨げられることによって生ずる 不利益の内容、程度等と、当該民事事件の内容、 性質、その持つ社会的な意義・価値、当該民事事 件において当該証言を必要とする程度、代替証拠 の有無等の諸事情を比較衡量して決する。 民事事件において取材源の秘密を理 由として証言を拒絶できることを最高裁として初 めて認めた決定である。

TBSビデオテープ差押事件(最決平2.7.9)

事例

警視庁は、犯罪捜査に必要との理由で、暴力 団員による債権取立ての模様を放映したTB Sテレビのドキュメンタリー番組の取材ビデ オテープを差押許可状に基づいて押収した。 そこで、TBSは、かかる押収は取材の自由 を侵害するとして特別抗告を申し立てた。

判例の 見解

①取材ビデオテープに対する差押えの可否 は、いかなる基準によって判断されるか。 公正な刑事裁判を実現するために不可欠で ある適正迅速な捜査の遂行という…要請から 報道機関の取材結果に対して差押えをする場 合において、差押えの可否を決するに当たっ ては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、 軽重等及び差し押さえるべき取材結果の証拠 としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂 げるための必要性と、取材結果を証拠として 押収されることによって報道機関の報道の自 由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が 受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべ きである。 ②本件ビデオテープの押収は、憲法21条に 違反するか。

報道機関の取材ビデオテープが軽視できな い悪質な被疑事件の全容を解明する上で重要 な証拠価値を持ち、他方、右テープが被疑者 らの協力によりその犯行場面等を撮影収録し たものであり、右テープを編集したものが放 映済みであって、被疑者らにおいてその放映 を了承していたなどの事実関係の下において は、右テープに対する捜査機関の差押処分 は、憲法21条に違反しない。

判例の POINT

①捜査機関が犯罪捜査のために取材テープを 押収することが取材の自由を侵害するかにつ いて、本決定は、公正な刑事裁判実現のため の適正迅速な捜査の遂行と取材の自由との比 較衡量を行って結論を導いている。報道の自 由は、比較の一要素として扱われているにす ぎず、比較衡量の対象となっていない。 ②取材結果に対する強制処分の合憲性が問題 となっている点において、本件は、博多駅事 件と共通する。しかし、博多駅事件では、強 制処分の主体が裁判所であるのに対し、本件 の場合は捜査機関である点が異なる。 ③本件取材が暴力団員の協力を得てその者等 が犯罪行為を行っている現場でなされている 点について、最高裁は、このような取材を取 材の自由の一態様として保護することに疑問 を投げかけ、本件差押により、「報道機関が 将来同様の方法で取材をすることが仮に困難 になるとしても、その不利益はさして考慮に 値しない」と断じている。

関連判例

取材対象者の期待・信頼による編集権の制限 (最判平20.6.12) ①放送事業者は、番組編集の自由を有するか。

放送事業者がどのような内容の放送をするか、 すなわち、どのように番組の編集をするかは、表 現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮 した放送事業者の自律的判断にゆだねられてい る。 ②放送事業者から放送番組のための取材を受けた 者(取材対象者)が取材担当者の言動によって当 該取材で得られた素材が一定の内容、方法により 放送に使用されるものと期待し、信頼したこと は、原則として法的保護の対象となるか。

放送事業者がどのように番組の編集をするか は、放送事業者の自律的判断にゆだねられてお り、番組の編集段階における検討により最終的な 放送の内容が当初企画されたものとは異なるもの になったり、企画された番組自体放送に至らない 可能性があることも当然のことと認識されている ものと考えられることからすれば、放送事業者又 は制作業者から素材収集のための取材を受けた取 材対象者が、取材担当者の言動等によって、当該 取材で得られた素材が一定の内容、方法により放 送に使用されるものと期待し、あるいは信頼した としても、その期待や信頼は原則として法的保護 の対象とはならないというべきである。 ③取材対象者の期待・信頼が法的保護の対象とな るのは、どのような場合か。

取材に応ずることにより必然的に取材対象者に 格段の負担が生ずる場合において、取材担当者 が、そのことを認識した上で、取材対象者に対 し、取材で得た素材について、必ず一定の内容、 方法により番組中で取り上げる旨説明し、その説 明が客観的に見ても取材対象者に取材に応ずると いう意思決定をさせる原因となるようなもので あったときは、取材対象者が同人に対する取材で 得られた素材が上記一定の内容、方法で当該番組 において取り上げられるものと期待し、信頼した ことが法律上保護される利益となり得る。そし て、そのような場合に、結果として放送された番 組の内容が取材担当者の説明と異なるものとなっ た場合には、当該番組の種類、性質やその後の事 情の変化等の諸般の事情により、当該番組におい て上記素材が上記説明のとおりに取り上げられな かったこともやむを得ないといえるようなときは 別として、取材対象者の上記期待、信頼を不当に 損なうものとして、放送事業者や制作業者に不法 行為責任が認められる余地がある。 テレビ局、新聞社等のマス・メディ アが、番組・記事の編集を自由に行うことのでき る権利を編集権という。編集権は、表現の自由の 内容として保障されるというのが一般的な理解で あり、本判決もこれを認めている。 本件では、取材対象者の、取材で得られた素材 が一定の内容、方法により放送に使用されるもの との期待・信頼によって編集権が制限を受けるか が問題となったが、最高裁は、取材対象者の期 待・信頼が保護されるのは、例外的な場合に限ら れるとして編集権を尊重する立場を打ち出してい る。

泉佐野市民会館事件(最判平7.3.7)

事例

Aは、関西新空港の建設に反対する集会を開 催するため、泉佐野市に市民会館の使用許可 を申請した。これに対し、泉佐野市は、集会 の実質的主催者が連続爆破事件を起こしてい る中核派であること等から、不許可事由であ る市民会館条例7条1号の「公の秩序をみだ すおそれがある場合」に当たるとして申請を 不許可とした。そこで、Aは、本条例及び不 許可処分は憲法21条に違反するとして国家 賠償請求訴訟を提 ?した。

判例の 見解

①集会の自由に対する制約の違憲審査基準 集会の用に供される公共施設の管理者は、 当該公共施設の種類に応じ、また、その規 模、構造、設備等を勘案し、公共施設として の使命を十分達成せしめるよう適正にその管 理権を行使すべきであって、これらの点から みて利用を不相当とする事由が認められない にもかかわらずその利用を拒否し得るの は、利用の希望が競合する場合のほかは、施 設をその集会のために利用させることによっ て、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉 が損なわれる危険がある場合に限られるもの というべきであり、このような場合には、そ の危険を回避し、防止するために、その施設 における集会の開催が必要かつ合理的な範囲 で制限を受けることがある。そして、右の制 限が必要かつ合理的なものとして肯認される かどうかは、基本的には、基本的人権として の集会の自由の重要性と、当該集会が開かれ ることによって侵害されることのある他の基 本的人権の内容や侵害の発生の危険性の程度 等を較量して決せられるべきものである。そ して、このような較量をするに当たっては、 集会の自由の制約は、基本的人権のうち精神 的自由を制約するものであるから、経済的自 由の制約における以上に厳格な基準の下にさ れなければならない。 ②「公の秩序をみだすおそれがある場合」 の解釈 本件条例7条1号は、「公の秩序をみだす おそれがある場合」を本件会館の使用を許可 してはならない事由として規定しているが、 同号は、本件会館における集会の自由を保障 することの重要性よりも、本件会館で集会が 開かれることによって、人の生命、身体又は 財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危 険を回避し、防止することの必要性が優越す る場合をいうものと限定して解すべきであ り、その危険性の程度としては、単に危険な 事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足 りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体 的に予見されることが必要である。そう解す る限り、このような規制は、他の基本的人権 に対する侵害を回避し、防止するために必要 かつ合理的なものとして、憲法21条に違反 するものではない。そして、右事由の存在を 肯認することができるのは、そのような事態 の発生が許可権者の主観により予測されるだ けではなく、客観的な事実に照らして具体的 に明らかに予測される場合でなければならな いことはいうまでもない。 ③本件不許可処分は、憲法21条に違反する か。

普通地方公共団体が公の施設の使用の許否 を決するに当たり、集会の目的や集会を主催 する団体の性格そのものを理由として、使用 を許可せず、あるいは不当に差別的に取り扱 うことは許されない。 本件不許可処分は、本件集会の目的やその 実質上の主催者と目される中核派という団体 の性格そのものを理由とするものではなく、 また、泉佐野市の主観的な判断による蓋然的 な危険発生のおそれを理由とするものでもな く、中核派が、本件不許可処分のあった当 時、関西新空港の建設に反対して違法な実力 行使を繰り返し、対立する他のグループと暴 力による抗争を続けてきたという客観的事実 からみて、本件集会が本件会館で開かれたな らば、本件会館内又はその付近の路上等にお いてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起 こるなどの事態が生じ、その結果、グループ の構成員だけでなく、本件会館の職員、通行 人、付近住民等の生命、身体又は財産が侵害 されるという事態を生ずることが、具体的に 明らかに予見されることを理由とするものと 認められる。したがって、本件不許可処分が 憲法21条に違反するということはできな い。

判例の POINT

①本判決は、集会の自由に対する制約の合憲 性判定基準として、比較衡量の基準を採用し ている(判例の見解①)。 ②不許可事由を定める本件条例7条1号につ いては、合憲限定解釈の手法を用いて合憲と いう結論を導いている(判例の見解②)

関連判例

皇居外苑使用不許可事件(最大判昭28.12.23) 労働団体が5月1日のメーデーの集会に使用す る目的で皇居外苑の使用許可申請をしたところ、 不許可処分を受けたため、当該不許可処分は憲法 21条、28条に違反するとして処分の取消しを求め た事件。 最高裁は、「その許否は管理権者の単なる自由 裁量に委ねられた趣旨と解すべきでなく、管理権 者たる厚生大臣は、皇居外苑の公共福祉用財産た る性質に鑑み、また、皇居外苑の規模と施設とを 勘案し、その公園としての使命を十分達成せしめ るよう考慮を払った上、その許否を決しなければ ならない」としつつも、①申請を許可すれば、外 苑全域に約50万人が長時間充満することとなり、 公園自体が著しい損壊を受けること、②公園の管 理保存に著しい支障をきたすだけでなく、長時間 にわたって一般国民の公園としての本来の利用が 阻害されること等を理由に本件不許可処分は憲法 21条、28条に違反しないとした。

チェック判例

集団示威運動は、公共の福祉に反するような 不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民 の自由とするところであろうから、条例において これらの行動につき単なる届出制を定めることは 格別、一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制 することは、憲法の趣旨に反し許されない。しか しこれらの行動といえども公共の秩序を保持し、 又は公共の福祉が著しく侵されることを防止する ため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明 確な基準の下に、あらかじめ許可を受けしめ、又 は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁 止することができる旨の規定を条例に設けても、 これをもって直ちに憲法の保障する国民の自由を 不当に制限するものと解することはできない(最 大判昭29.11.24)。

広島市暴走族追放条例にいう「集会」は、暴 走行為を目的として結成された集団である本来的 な意味における暴走族の外、服装、旗、言動など においてこのような暴走族に類似し社会通念上こ れと同視することができる集団によって行われる ものに限定されると解され、このように解釈すれ ば、憲法21条1項、31条に違反しない(最判平 19.9.18.)

【検閲・事前抑制の禁止】

税関検査訴訟(最大判昭59.12.12)

事例

Aは、外国の商社Bにポルノ雑誌を注文し、 郵送で輸入しようとしたところ、税関検査で 関税法に規定する輸入禁制品に該当すると判 断されたため、雑誌を輸入することができな かった。そこで、Aは、「税関検査は、憲法 21条2項の禁止する『検閲』に当たる。」 と主張した。

判例の 見解

①憲法21条2項の「検閲」の意味 憲法が、表現の自由につき、広くこれを保 障する旨の一般的規定を21条1項に置きな がら、別に検閲の禁止について特別の規定を 設けたのは、検閲がその性質上表現の自由に 対する最も厳しい制約となるものであること にかんがみ、これについては、公共の福祉を 理由とする例外の許容(憲法12条、13条参 照)をも認めない趣旨を明らかにしたものと 解すべきである。そして、このような解釈を 前提とすると、憲法21条2項にいう「検 閲」とは、行政権が主体となって、思想内容 等の表現物を対象とし、その全部又は一部の 発表の禁止を目的として、対象とされる一定 の表現物につき網羅的一般的に、発表前にそ の内容を審査した上、不適当と認めるものの 発表を禁止することを、その特質として備え るものを指すと解すべきである。 ②税関検査は「検閲」に当たるか。

税関検査により輸入が禁止される表現物 は、一般に、国外においては既に発表済みの ものであって、その輸入を禁止したからと いって、当該表現物につき、事前に発表その ものを一切禁止するというものではない。ま た、税関検査は、思想内容等それ自体を網羅 的に審査し規制することを目的とするもので はない。さらに、税関は、関税の確定及び徴 収を本来の職務内容とする機関であって、特 に思想内容等を対象としてこれを規制するこ とを独自の使命とするものではなく、また、 思想内容等の表現物につき税関長の通知がさ れたときは司法審査の機会が与えられている のであって、行政権の判断が最終的なものと されるわけではない。以上からすると、税関 検査は、憲法21条2項の「検閲」に当たら ない。

判例の POINT

本判決は、21条2項の「検閲」の意味につ いて、最高裁の採る立場を初めて明らかにし たものである。検閲の主体を行政権に限定し た上で検閲を絶対的に禁止する点は、学説上 の通説と同じである。しかし、①検閲の対象 を「表現行為一般」ではなく「思想内容等の 表現物」に限定していること、②検閲の時期 を「相手方が表現行為を受領する前」ではな く「発表前」に限定していること、さらに、 ③審査を「網羅的一般的」な場合に限定して いることについては、検閲に当たる場合が狭 くなりすぎるとの批判が強い。

北方ジャーナル事件(最大判昭61.6.11)

事例

Aは、近々発行される雑誌「北方ジャーナ ル」に「次期知事選への立候補を予定してい るBは、利権漁りが巧みで、特定の業者と癒 着して私腹を肥やしている」旨の記事を書い た。これを知ったBが、自己の名誉を守るた め、同雑誌の出版禁止の仮処分を裁判所に申 請したところ、裁判所はこれを認め、同雑誌 の出版を差し止めた。そこで、Aは、Bを被 告として不法行為に基づく損害賠償請求を、 国を被告として国家賠償請求を求める訴えを提起した。

判例の 見解

①仮処分による事前差止めは、検閲に当た るか。

仮処分による事前差止めは、表現物の内容 の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行 政機関によりそれ自体を目的として行われる 場合とは異なり、個別的な私人間の紛争につ いて、司法裁判所により、当事者の申請に基 づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存 否、保全の必要性の有無を審理判断して発せ られるものであって、検閲には当たらない。 ②事前差止めが許されるための実体的要件 出版物の頒布等の事前差止めは、事前抑制 に該当するものであって、とりわけ、その対 象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評 価、批判等の表現行為に関するものである場 合には、そのこと自体から、一般にそれが公 共の利害に関する事項であるということがで き、21条1項の趣旨に照らし、その表現が 私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲 法上特に保護されるべきであることにかんが みると、当該表現行為に対する事前差止め は、原則として許されない。ただ、その表現 内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図 る目的のものでないことが明白であって、か つ、被害者が重大にして著しく回復困難な損 害を被るおそれがあるときは、当該表現行為 はその価値が被害者の名誉に劣後することが 明らかであるうえ、有効適切な救済方法とし ての差止めの必要性も肯定されるから、かか る実体的要件を具備するときに限って、例外 的に事前差止めが許される。 ③事前差止めが許されるための手続的要件 事前差止めを命ずる仮処分命令を発するに ついては、口頭弁論又は債務者の審尋を行 い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を 与えることを原則とすべきである。ただ、差 止めの対象が公共の利害に関する事項につい ての表現行為である場合においても、口頭弁 論を開き又は債務者の審尋を行うまでもな く、債権者の提出した資料によって、その表 現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を 図る目的のものでないことが明白であり、か つ、債権者が重大にして著しく回復困難な損 害を被るおそれがあると認められるときは、 口頭弁論又は債務者の審尋を経ないで差止め の仮処分命令を発したとしても、21条の趣 旨に反するものといえない。

判例の POINT

本判決は、裁判所による事前差止めが21条 2項の「検閲」に当たらず、同条1項の禁止 する事前抑制に当たることを明らかにした。

チェック判例

教科書検定は、不合格図書を一般図書として 発行することを何ら妨げるものではなく、発表禁 止目的や発表前の審査などの特質がないから、検 閲に当たらない(最判平5.3.16)。

我が国において既に頒布され、販売されてい るわいせつ表現物を税関検査による輸入規制の対 象とすることは、憲法21条1項に違反しない(最 判平20.2.19)。

外務省機密漏洩事件(最決昭53.5.31)

事例

毎日新聞政治部記者Aは、沖縄返還交渉に関 する秘密文書を入手するため、外務省の女性 事務官Bと肉体関係を持ち、Bが自分に好意 を抱いていることを利用して、秘密文書の持 ち出しを執拗に迫り、これを入手した。その 結果、Aは、国家秘密を漏らすことをそその かしたとして、国家公務員法111条違反で起 訴された。

判例の 見解

①報道機関が取材目的で公務員に対し秘密 を漏らすようそそのかすことは、直ちに違 法となるか。

報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密 を漏示するようにそそのかしたからといっ て、そのことだけで、直ちに当該行為の違法 性が推定されるものと解するのは相当ではな く、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に 説得ないし要請を続けることは、それが真に 報道の目的からでたものであり、その手段・ 方法が法秩序全体の精神に照らし相当なもの として社会観念上是認されるものである限り は、実質的に違法性を欠き正当な業務行為と いうべきである。 ②取材の手段・方法は、どのような場合に 違法性を帯びるか。 取材の手段・方法が贈賄、脅迫、強要等 の一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は 勿論、その手段・方法が一般の刑罰法令に触 れないものであっても、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく 蹂躙 じゅうりん する等法秩 序全体の精神に照らし社会観念上是認するこ とのできない態様のものである場合にも、正 当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯び る。 ③本件の取材の手段・方法は、正当な取材 活動の範囲内か。

Aは、当初から秘密文書を入手するための 手段として利用する意図でBと肉体関係を持 ち、Bが右関係のためAの依頼を拒み難い心 理状態に陥ったことに乗じて秘密文書を持ち 出させたが、Bを利用する必要がなくなる や、Bとの右関係を消滅させその後は同女を 顧みなくなったものであって、取材対象者で あるBの個人としての人格の尊厳を著しく蹂 躙したものといわざるをえず、このようなA の取材行為は、その手段・方法において法秩 序全体の精神に照らし社会観念上、到底是認 することのできない不相当なものであるか ら、正当な取材活動の範囲を逸脱している。

判例の POINT

①本決定は、国家秘密と取材の自由に関する リーディングケースである。 ②本決定は、取材の手段・方法が違法性を帯 びる場合として、①刑罰法令に触れる場合と ②刑罰法令に触れないが社会観念上是認する ことのできない態様である場合の2つを挙 げ、本件は②の場合であるとしている。しか し、Aの取材行為がBの人格の尊厳を蹂躙し たとしている点には、Bが成人であることを 考えると疑問であるとの批判がある。

長良川事件報道訴訟(最判平15.3.14)

事例

強盗殺人等で起訴された刑事被告人A(犯行 当時18歳)は、実名に類似する仮名を用い て法廷でのAの様子や交友関係等を記載した 雑誌の記事が少年法61条の禁止する推知報 道に当たり、自己の名誉・プライバシーが侵 害されたとして、出版社に損害賠償を求める 訴えを提起した。 (参照条文)少年法61条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき 犯した罪により公訴を提起された者については、 氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者 が当該事件の本人であることを推知することがで きるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物 に掲載してはならない。

判例の 見解

①本件記事は、Aの名誉・プライバシーを 侵害するか。

本件記事に記載された犯人情報及び履歴情 報は、いずれもAの名誉を毀損する情報であ り、また、他人にみだりに知られたくないA のプライバシーに属する情報である。そし て、Aと面識があり、又は犯人情報あるいは Aの履歴情報を知る者は、その知識を手がか りに本件記事がAに関する記事であると推知 することが可能であり、本件記事の読者の中 にこれらの者が存在した可能性を否定するこ とはできない。そして、これらの読者の中 に、本件記事を読んで初めて、Aについての それまで知っていた以上の犯人情報や履歴情 報を知った者がいた可能性も否定することは できない。したがって、本件記事は、Aの名 誉を毀損し、プライバシーを侵害するもので ある。 ②少年法61条が禁止する推知報道か否かの 判断基準 少年法61条が禁止しているいわゆる推知 報道に当たるか否かは、その記事等によ り、不特定多数の一般人がその者を当該事件 の本人であると推知することができるかどう かを基準にして判断すべきである。 ③本件記事は、少年法61条に違反するか。

本件記事は、Aについて、当時の実名と類 似する仮名が用いられ、その経歴等が記載さ れているものの、Aと特定するに足りる事項 の記載はないから、Aと面識等のない不特定 多数の一般人が、本件記事により、Aが当該 事件の本人であることを推知することができ るとはいえない。したがって、本件記事 は、少年法61条に違反しない。

判例の POINT

①少年法61条は、氏名・年齢・職業等から 少年事件の本人であることを推知できるよう な記事・写真を出版物に掲載すること(推知 報道)を禁止している。本判決は、推知報道 の判断基準を「本人と面識等のない不特定多 数の一般人」に求めて、推知報道の範囲を狭 く解し、本件記事は推知報道に当たらないと 判断した。 ②少年法61条が何を保護する規定であるか について、本判決は、判断を示していない。

チェック判例

公判廷の状況を一般に報道するための取材活 動であっても、その活動が公判廷における審判の 秩序を乱し被告人その他訴訟関係人の正当な利益 を不当に害するがごときものは、もとより許され ない。公判廷における写真の撮影等は、その行わ れる時、場所等のいかんによっては、好ましくな い結果を生ずる恐れがあるので、写真撮影の許可 等を裁判所の裁量に委ね、その許可に従わないか ぎりこれらの行為をすることができないことを明 らかにした刑事訴訟規則215条は憲法に違反するも のではない(最大決昭33.2.17)。

報道機関の取材ビデオテープに対する捜査機 関の本件差押処分は、右テープが証拠上極めて重 要な価値を有し、事件の全容を解明し犯罪の成否 を判断する上でほとんど不可欠であること、右 テープは放映済みであり、本件差押処分により報 道機関の受ける不利益は、本件ビデオテープの放 映が不可能となり報道の機会が奪われるという不 利益ではなく、将来の取材の自由が妨げられるお それがあるという不利益にとどまること等の具体 的事情の下においては、憲法21条に違反しな い(最決平1.1.30)

サンケイ新聞意見広告事件(最判昭 62.4.24)

事例

日本共産党は、サンケイ新聞が掲載した自由 民主党の意見広告が同党に対する誹謗中傷で あるとして、名誉毀損に対する原状回復処分 (民法723条)として同一スペースの反論文 を無償で掲載するようサンケイ新聞に要求し た。

判例の 見解

①憲法21条は、反論文掲載請求権を保障し ているか。

私人間において、当事者の一方が情報の収 集、管理、処理につき強い影響力をもつ日刊 新聞紙を全国的に発行・発売する者である場 合でも、憲法21条の規定から直接に、反論 文掲載の請求権が他方の当事者に生ずるもの でないことは明らかである。 ②民法723条は、反論文掲載請求権を保障 しているか。

反論文掲載請求権は、相手方に対して自己 の請求する一定の作為を求めるものであっ て、単なる不作為を求めるものではなく、不 作為請求を実効あらしめるために必要な限度 での作為請求の範囲をも超えるものであ り、民法723条により名誉回復処分又は差止 の請求権の認められる場合があることをもっ て、反論文掲載請求権を認めるべき実定法上 の根拠とすることはできない。 ③反論権に関する具体的な法律がなくて も、反論文掲載請求権を認めることはでき るか

反論権の制度が認められるときは、新聞を 発行・販売する者にとっては、原記事が正し く、反論文は誤りであると確信している場合 でも、あるいは反論文の内容がその編集方針 によれば掲載すべきでないものであっても、 その掲載を強制されることになり、また、そ のために本来ならば他に利用できたはずの紙 面を割かなければならなくなる等の負担を強 いられるのであって、これらの負担が、批判 的記事、ことに公的事項に関する批判的記事 の掲載をちゅうちょさせ、憲法の保障する表 現の自由を間接的に侵す危険につながるおそ れも多分に存する。このように、反論権の制 度は、民主主義社会において極めて重要な意 味をもつ新聞等の表現の自由に対し重大な影 響を及ぼすものであって、たとえサンケイ新 聞などの日刊全国紙による情報の提供が一般 国民に対し強い影響力をもち、その記事が特 定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影 響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が 成立する場合にその者の保護を図ることは別 論として、反論権の制度について具体的な成 文法がないのに、反論権を認めるに等しい反 論文掲載請求権を認めることはできない。

判例の POINT

①本判決は、反論権に関するリーディング ケースである。 ②本判決は、反論権を「新聞の記事に取り上 げられた者が、その記事の掲載によって名誉 毀損の不法行為が成立するかどうかとは無関 係に、自己が記事に取り上げられたというだ けの理由によって、新聞を発行・販売する者 に対し、当該記事に対する自己の反論文を無 修正で、しかも無料で掲載することを求める ことができる権利」と定義付けしている。 ③本判決は、マス・メディアの表現の自由を 間接的に侵害するおそれがあることを理由 に、反論権を認めることに消極的な態度を とっている。

関連判例

放送法に基づく訂正放送の請求(最判平 16.11.25) 放送法4条1項に基づいて放送事業者に対し訂正 放送を請求することができるか。

4条1項は、真実でない事項の放送がされた場 合において、放送内容の真実性の保障及び他から の干渉を排除することによる表現の自由の確保の 観点から、放送事業者に対し、自律的に訂正放送 等を行うことを国民全体に対する公法上の義務と して定めたものであって、被害者に対して訂正放 送等を求める私法上の請求権を付与する趣旨の規 定ではない。前記のとおり、4条1項は被害者か らの訂正放送等の請求について規定しているが、 同条2項の規定内容を併せ考えると、これは、同 請求を、放送事業者が当該放送の真実性に関する 調査及び訂正放送等を行うための端緒と位置付け ているものであって、これをもって、私法上の請 求権の根拠とすることはできない。したがっ て、被害者は、放送事業者に対し、4条1項の規 定に基づく訂正放送等を求める私法上の権利を有 しない。 (参照条文)放送法4条1項、2項 ①放送事業者が真実でない事項の放送をしたとい う理由によって、その放送により権利の侵害を受 けた本人又はその直接関係人から、放送のあった 日から3箇月以内に請求があったときは、放送事業 者は、遅滞なくその放送をした事項が真実でない かどうかを調査して、その真実でないことが判明 したときは、判明した日から2日以内に、その放送 をした放送設備と同等の放送設備により、相当の 方法で、訂正又は取消しの放送をしなければなら ない。 ②放送事業者がその放送について真実でない事項 を発見したときも、前項と同様とする。 本件の事案は、事実関係に誤りのあ るテレビ番組で名誉とプライバシーを侵害された と主張する者が放送法4条1項に基づいて訂正放 送を請求したというものである。

【表現内容の規制】

夕刊和歌山時事事件(最大判昭44.6.25)

事例

「夕刊和歌山時事」を編集・発行しているA は、「吸血鬼Bの罪業」と題する記事を同紙 に執筆・掲載したことがBの名誉を毀損した として起訴された。下級審で名誉毀損が成立 し有罪とされたAは、原判決は憲法21条に 違反すると主張して上告した。

判例の 見解

①刑法230条の2と憲法21条の関係 刑法230条の2の規定は、人格権としての 個人の名誉の保護と、憲法21条による正当 な言論の保障との調和をはかったものであ る。 ②真実であることの証明(真実性の証明) がない限り、常に名誉毀損罪が成立する か。

刑法230条の2第1項にいう事実が真実で あることの証明がない場合でも、行為者がそ の事実を真実であると誤信し、その誤信した ことについて、確実な資料、根拠に照らし相 当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、 名誉毀損の罪は成立しない。

判例の POINT

①人の名誉を毀損する言論には名誉毀損罪 (刑法230条1項)が成立するが、当該言論 が真実であることを証明すると処罰されない (230条の2第1項)。本判決は、230条の 2が名誉と表現の自由の調和を図った規定で あることを明らかにした。 ②人の名誉を毀損する言論が真実であるとの 誤信に基づいてなされた場合について、従来 の判例は、真実であることの証明がない以 上、名誉毀損罪が成立するとしていた。本判 決は、これを変更し、確実な資料、根拠に照 らし誤信したことに相当の理由があるとき は、真実性の証明がなくても名誉毀損罪は成 立しないとして表現の自由の保障を前進させ た。

関連判例

インターネットによる表現行為と名誉毀損(最 決平22.3.15) 個人利用者がインターネット上に掲載したもの であるからといって、おしなべて、閲覧者におい て信頼性の低い情報として受け取るとは限らない のであって、相当の理由の存否を判断するに際 し、これを一律に、個人が他の表現手段を利用し た場合と区別して考えるべき根拠はない。そし て、インターネット上に載せた情報は、不特定多 数のインターネット利用者が瞬時に閲覧可能であ り、これによる名誉毀損の被害は時として深刻な ものとなり得ること、一度損なわれた名誉の回復 は容易ではなく、インターネット上での反論に よって十分にその回復が図られる保証があるわけ でもないことなどを考慮すると、インターネット の個人利用者による表現行為の場合においても、 他の場合と同様に、行為者が摘示した事実を真実 であると誤信したことについて、確実な資料、根 拠に照らして相当の理由があると認められるとき に限り、名誉毀損罪は成立しないものと解するの が相当であって、より緩やかな要件で同罪の成立 を否定すべきものとは解されない。 本件は、Aが自分のホームページ上 にB会社が虚偽の広告をしているかのような内容 の文章を掲載して同社の名誉を毀損したとして、 名誉毀損罪で起訴された事案である。Aは、イン ターネットの個人利用者に対して要求される水準 を満たす調査を行った上で本件表現行為をしてお り、摘示した事実を真実と信じたことについて相 当の理由があると主張したが、最高裁は、これを 退けた。

月刊ペン事件(最判昭56.4.16) 私人の私生活上の行状が刑法230条の2第1項の 「公共の利害に関する事実」に当たる場合がある か。

私人の私生活上の行状であっても、そのたずさ わる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及 ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その 社会的活動に対する批判ないし評価の一資料とし て、刑法230条の2第1項にいう「公共の利害に関 する事実」に当たる場合がある。 本件は、雑誌「月刊ペン」が宗教法 人の会長の女性関係を問題にした記事が名誉毀損 罪の成立要件である「公共の利害に関する事実」 に当たるかが問題となった事件である。最高裁 は、一般論として、上記のように述べた上で、本 件の問題も一宗教法人内部の単なる私的な出来事 とはいえず、「公共の利害に関する事実」に当た るとした。

テレビ朝日ダイオキシン訴訟(最判平15.10.16) 新聞記事等の報道の内容が人の社会的評価を低 下させるか否かについては、一般の読者の普通の 注意と読み方とを基準として判断すべきものであ り、テレビジョン放送をされた報道番組の内容が 人の社会的評価を低下させるか否かについても、 同様、一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方と を基準として判断すべきである。 そして、テレビジョン放送をされた報道番組に よって摘示された事実がどのようなものであるか という点についても、一般の視聴者の普通の注意 と視聴の仕方とを基準として判断するのが相当で ある。テレビジョン放送をされる報道番組におい ては、新聞記事等の場合とは異なり、視聴者は、 音声及び映像により次々と提供される情報を瞬時 に理解することを余儀なくされるのであり、録画 等の特別の方法を講じない限り、提供された情報 の意味内容を十分に検討したり、再確認したりす ることができないものであることからすると、当 該報道番組により摘示された事実がどのようなも のであるかという点については、当該報道番組の 全体的な構成、これに登場した者の発言の内容 や、画面に表示されたフリップやテロップ等の文 字情報の内容を重視すべきことはもとより、映像 の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声 に係る情報の内容並びに放送内容全体から受ける 印象等を総合的に考慮して、判断すべきである。 野菜の生産農家がテレビの報道番組 により風評被害を受けたとして不法行為による損 害賠償と謝罪広告を求めた事件である。最高裁 は、テレビ放送による「社会的評価の低下」と名 誉毀損の成否に重要な影響を及ぼす「摘示された 事実」の判断基準を初めて明らかにした。

破防法違反事件(最判平2.9.28)

事例

中核派の幹部であるAは、同派の集会でした 演説が破壊活動防止法(破防法)39条・40 条のせん動罪に当たるとして起訴された。そ こで、Aは、せん動罪は憲法21条1項、31 条に違反すると主張した。

判例の 見解

①せん動は、表現活動としての性質を有す るか。

破防法39条条び40条のせん動は、政治目 的をもって、各条所定の犯罪を実行させる目 的をもって、文書若しくは図画又は言動によ り、人に対し、その犯罪行為を実行する決意 を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長さ せるような勢のある刺激を与える行為をする ことであるから、表現活動としての性質を有 している。 ②せん動を処罰することは、憲法21条1項 に反するか。

表現活動といえども、絶対無制限に許容さ れるものではなく、公共の福祉に反し、表現 の自由の限界を逸脱するときには、制限を受 けるのはやむを得ない。せん動は、公共の安 全を脅かす現住建造物等放火罪、騒乱罪等の 重大犯罪をひき起こす可能性のある社会的に 危険な行為であるから、公共の福祉に反し、 表現の自由の保護を受けるに値しないものと して、制限を受けるのはやむを得ない。した がって、せん動を処罰することが憲法21条 1項に違反するものでない。 ③せん動の概念は不明確で憲法31条に違反 するといえるか。

せん動の概念は、破防法4条2項の定義規 定により明らかであって、その犯罪構成要件 があいまいであり、漠然としているものとは いい難い。 (参照条文)破壊活動防止法4条2項 この法律で「せん動」とは、特定の行為を実行さ せる目的をもつて、文書若しくは図画又は言動に より、人に対し、その行為を実行する決意を生ぜ しめ又は既に生じている決意を助長させるような 勢のある刺激を与えることをいう。

判例の POINT

破壊活動防止法39条、40条は、政治目的で 放火罪等のせん動をした者を処罰している。 本判決は、せん動を処罰することが憲法21 条に違反しないことを初めて明らかにした食 料緊急措置令違反事件判決(最大判昭 24.5.18)を引用し、破防法のせん動罪も合 憲であることを確認したものである。

福島県青少年健全育成条例事件(最判平 21.3.9)
事例

福島県青少年健全育成条例は、青少年の健全 な育成を図るため、18歳未満の者(青少 年)に知事が指定した有害図書を販売するこ と及び自動販売機に有害図書を収納すること を禁止している。自動販売機業者Aは、監視 機能の付いた自動販売機(販売機を設置した 無人小屋に客が入ると、監視カメラが作動 し、監視センターに客の画像が送信され、監 視員が18歳以上と判断した場合に販売機の 電源が入り、購入可能な状態となる自動販売 機)まで規制することは、憲法21条1項、 22条1項、31条に違反すると主張した。

判例の 見解

監視機能付き自動販売機の設置を規制する ことは、憲法21条1項、22条1項、31条に 違反するか。

自動販売機によって有害図書類を販売する ことは、売手と対面しないため心理的に購入 が容易であること、昼夜を問わず販売が行わ れて購入が可能となる上、どこにでも容易に 設置でき、本件のように周囲の人目に付かな い場所に設置されることによって、一層心理 的規制が働きにくくなると認められることな どの点において、書店等における対面販売よ りもその弊害が大きい。本件のような監視機 能を備えた販売機であっても、その監視及び 販売の態勢等からすれば、監視のための機器 の操作者において外部の目にさらされていな いために18歳未満の者に販売しないという 動機付けが働きにくいといった問題があるな ど、青少年に有害図書類が販売されないこと が担保されているとはいえない。 以上の点 からすれば、本件機器を含めて自動販売機に 有害図書類を収納することを禁止する必要性 が高いということができる。その結果、青少 年以外の者に対する関係においても、有害図 書類の流通を幾分制約することにはなるが、 それらの者に対しては、書店等における販売 等が自由にできることからすれば、有害図書 類の「自動販売機」への収納を禁止し、その 違反に対し刑罰を科すことは、青少年の健全 な育成を阻害する有害な環境を浄化するため の必要やむを得ないものであって、憲法21 条1項、22条1項、31条に違反するもので はない。

判例の POINT

条例で自動販売機による有害図書の販売・収 納を禁止し、違反者に罰則を科すことについ ては、①青少年の知る自由(21条1項)を 侵害するか、②成人の知る自由を侵害する か、③知事による有害図書の指定が検閲(同 条2項前段)に当たるか、④自動販売機設置 者の営業の自由(22条1項)を侵害する か、④定義があいまいな有害図書の販売・収 納を理由に処罰することは31条に違反する か等さまざまな憲法問題が生じる。しかし、 すでに最高裁は、監視機能の付いていない自 動販売機について、これらの問題点を否定し ていた(後掲岐阜県青少年保護育成条例事 件)。本判決は、監視機能が付いている自動 販売機にも従来の判例の立場が妥当すること を明らかにした。 (トップへ)

チェック判例

□ 新聞社が通信社から配信を受けて自己の発行 する新聞紙にそのまま掲載した記事が私人の犯罪 行為やスキャンダルないしこれに関連する事実を 内容とするものである場合には、当該記事が取材 のための人的物的体制が整備され、一般的にはそ の報道内容に一定の信頼性を有しているとされる 通信社から配信された記事に基づくものであると の一事をもって、当該新聞社に同事実を真実と信 ずるについて相当の理由があったものとはいえな い(最判平14.1.29)。

あん摩、はり、きゅう等の業務又は施術所に 関して制限を設け、適応症の広告も許さないの は、もしこれを無制限に許容すると、虚偽誇大に 流れ、一般大衆を惑わすおそれがあり、その結果 適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結 果を招来することをおそれたためであって、この ような弊害を未然に防止するため一定事項以外の 広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地 から、公共の福祉を維持するためやむをえない措 置として是認されるから、憲法21条に違反しな い(最大判昭36.2.15)。

有害図書の自動販売機への収納の禁止は、青 少年に対する関係において、憲法21条1項に違反 しないことはもとより、成人に対する関係におい ても、有害図書の流通を幾分制約することにはな るものの、青少年の健全な育成を阻害する有害環 境を浄化するための規制に伴う必要やむをえない 制約であるから、憲法21条1項に違反するもので はない(最判平1.9.19)。

刑法175条の「猥褻文書」とは、その内容がい たずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通 人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観 念に反する文書をいう。性的秩序を守り、最少限 度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容を なすことについて疑問の余地はないから、猥褻文 書の頒布販売を犯罪として禁止する刑法175条は憲 法に違反しない(最大判昭32.3.13)。

芸術的・思想的価値のある文書が猥褻性を持 つものである場合には、性生活に関する秩序及び 健全な風俗を維持するため、これを処罰の対象と することは、国民生活全体の利益に合致するもの と認められるから、憲法21条に違反しない(最大 判昭44.10.15)。

文書のわいせつ性の判断にあたっては、当該 文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度と その手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、 文書に表現された思想等と右描写叙述との関連 性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性 等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点か ら当該文書を全体としてみたときに、主として、 読者の好色的興味にうったえるものと認められる か否かなどの諸点を検討することが必要であり、 これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通 念に照らして、それが「いたずらに性欲を興奮又 は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心 を害し、善良な性的道義観念に反するもの」とい えるか否かを決すべきである。(最判昭 55.11.28)。

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